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アパホテルの漫画を読んだら、元谷外志雄に洗脳されると思った

先日、急な出張でホテルを予約しようとしたら、アパホテル小松グランドしか空いていませんでした。

アパホテルは耐震偽装とブスなオバさん社長のイメージしかないから好きじゃないんだよなぁ。と渋々予約。

実際泊まってみると、可もなく不可もなく、普通のビジネスホテルでした。

しかし、他のビジネスホテルと大きく異なる事が。

それは、部屋にアパグループ代表の元谷外志雄とその妻元谷芙美子(アパホテル社長)の本が沢山置いてあることです。

その中にこちらの漫画が置いてありました。

ブスなアパ社長がものすごく美人に書かれていたので気になって読んでしまいました。

読み終わって思った事は、アパグループ代表「元谷外志雄」の信者を増やすための洗脳本なのか?という事。

今回は「まんがで学ぶ成功企業の仕事術、アパホテル利益を生み出す逆張りの成功哲学」という漫画の概要と、感想を書きたいと思います。

漫画の概要(元谷外志雄の武勇伝)

まず、タイトルにはアパホテルとありますが、アパグループ全体のお話です。というか元谷外志雄の武勇伝です。

元谷外志雄の子供の頃から、アパグループの2012年までの沿革が、全部で5つのパートで構成されています。

1.大胆男の企業

元谷外志雄の出生から起業までのエピソード。

外志男は1943年に石川県小松市で生まれ育った。

病気の父親の指示のもと貸家貸間業を手伝い、小学生ながら家賃の集金やビラ配りなどで家計を助けた。

中学生で父親を無くし、自転車預かり業で生計を立てます。

1962年、高校卒業後、慶應義塾大学の通信教育課程へ入学する一方、小松信用金庫に就職。

信金への就職はあくまで金融の知識を学ぶためでした。

30歳までに事業家になることが目標でした。

外志雄は入社して間も無く、労働組合の書記長となった。

1969年に福井信用金庫の職員をしていた芙美子がお茶出しをしていて知り合い、会社伝いで連絡し交際、やがて結婚した。

1970年に芙美子は寿退社するが、外志男の起業とともにビジネスパートナーとなった。

1971年に信金開発株式会社を設立、最初に始めた注文住宅事業は建売りやマンションと違い、客の所有地に住宅を建てるだけなので、土地を購入する必要がなく、リスクが低い事業だった。

外志雄は長期住宅ローンという仕組みを生み出し、住宅とのセット販売で、頭金10万から家を建てられると話題になり業績を伸ばした。

2.どん底からの事業改革

信金開発がストライキを起こされたピンチを乗り越えるエピソード。

1971年、出産を終えた芙美子が信金開発に入社。

当時女は家で留守を守るという発想が普通の社会で、芙美子が取締役ということに反発もあった。

反発したものを簡単に首にしたことによって、雇っていた建築士がストライキを起こして、みんな辞めてしまった。

そこで、外志雄が持つ宅建の資格を活かし、不動産業へシフトし、デベロッパーになった。

最初の仕事は4000坪の田んぼを造成して五七区の宅地と6棟の戸建て分譲住宅を開発。

外志雄は「逆張りの発想」で日当たりがいい南ではなく北の人気のない土地を買った。

学校が近くにあり、ベビーブームで環境を整えれば価値が出ると見込んだからだ。

住宅は全て完売し、8000万円の利益が出た。

外志雄は北陸の企業で初となる完全週休二日制、毎月の慰安旅行、年一回の海外旅行など会社の福利厚生を整えた。

3.逆張りの発想

外志雄の理念である「逆張りの発想」が表現されているエピソード。

1973年オイルショック、物価が高騰し、建築資材の高騰で各社が値上げする中、信開グループは値段を上げず、お客の信用をつかんだ。

1980年、アパホテルの前身であるMCSジャパンを設立。

1984年には信開グループ第1号のホテル金沢ファーストホテルがオープンした。

1987年、ニューヨークでブラックマンデーが起きた。

外志雄はアメリカのように日本の株もいずれ暴落すると予測した。

そして実際に、1990年にバブル崩壊が起きる。

しかし、外志雄はバブル崩壊前に不動産など、売れる資産はすべて売却した。

さらに土地の新規購入をやめる、支店・営業所の3分の1を閉鎖するなどして、バブル崩壊による損失を最小限に抑えた。

4.花ごころのおもてなし

芙美子の理念である「花ごころのおもてなし」が表現されているエピソード。

1994年、芙美子が信開ホテルの社長になる。

信開ホテルは1984年に営業を開始したが、業績は伸び悩んでいた。

元々「営業が飯より好き」だった芙美子はホテルの宣伝のために積極的に営業活動を展開した。

一人一人に営業して回るより効率がよいので、会社の朝礼で挨拶する。そして、宿泊にも食事にも使える商品券をその場で買ってもらう。

こういった営業戦略でホテル事業の業績を伸ばしていった。

芙美子は社長である事を隠して従業員の制服を着て現場に立つこともあった。

それは現場に立ってお客様が求めている事を知るためだ。

芙美子は花ごころのおもてなし(真心を込めたおもてなし)を社員にも理解してもらいたい、世界中のお客様に提供したいと思っていた。

そんな芙美子の思いが身を結んだ出来事が、折り鶴である。

芙美子が自分で折った折り鶴を浴衣の上に一羽ずつ置くという行為をしていたところ、従業員も真似をした。

こういった従来のビジネスホテルには無かった「花ごころのおもてなし」を実践した事でホテル事業の大躍進に繋がった。

さらに2000年に50歳で大学に入った、勉強していずれはホテル大学を作りたいと考えている。

1997年、信開ホテルは念願の東京進出を果たす。

1988年、アパグループ株式会社が設立され、アパホテルとなる。

2001年にはホテル客室数は5千室を突破し、2010年には2万室を達成した。

5.頂上戦略

アパグループの東京での発展と耐震偽装事件から乗り越えたエピソード。

2002年、グループ本社とアパホテル本社を赤坂に移転。

幕張プリンスホテルを132億で落札。

2007年、アパグループが所有するホテルに耐震強度不足が発覚。

マスコミは視聴率を取るために「アパホテルの耐震偽装」と取り上げた。

銀行からも借入金の全額返済を求められ、外志雄はありったけの土地を売り、350億円の借入金を1年で返済した。

その翌年、リーマンショックが発生。

このアクシデントのおかげで外志雄はありったけの土地を売り抜けた。

さらに、「逆張りの発想」で外志男は、リーマンショックでみんなが土地を売る中、買いに回って大きな利益を得た。

漫画を読み終わった感想

この本を読むまでアパホテルの事を全然知らなかったので、昔からある大きなホテルチェーンで、ブサイクな跡取り娘が女社長になったのかと思っていました。

しかし、本当にすごいのはアパホテル社長ではなく、アパグループを一代で築き上げた元谷外志雄なのだという事がわかりました。(漫画の内容が全て真実ならばですが)

まず、今では住宅を買う時に常識である長期住宅ローンを考え出し、アメリカのブラックマンデーからバブル崩壊を見通す、先見の明。

リーマンショック直前に耐震偽装問題で、資産を売る事になる強運。

女は家で留守を守るという発想が普通の昭和の時代に生まれながら、妻の芙美子を働かせ、社長に抜擢する判断力。

この男の妻になったから、芙美子はアパホテル社長として有名になったんですね。

それに外志男は「逆張りの発想」、芙美子には「花ごころのおもてなし」と、二人ともに理念がある事。

外志男は慶應義塾大学の通信教育課程で勉強しながら信用金庫に入社。芙美子は50歳で法政大学へ入学と二人とも働きながら大学に行っている事。

元谷外志雄は右翼的な発想で叩かれる事が多いようですが、経営者としての手腕、働きながら大学を卒業するなど、少なくとも僕には真似できないような事をしていてすごいと感じました。

というように、この漫画の内容をすべて真に受けたら洗脳されるなと思います。

元谷外志雄はブランディングがうまい

もう一つ、ホテルの部屋に沢山の本が置いてあるのを見て思ったのが、ブロガーのブランディングに似ているという事。

経営者で本を出している人はいると思いますが、よっぽど有名にならないと本は売れません。

そこで、自分が経営しているホテルの全室に本を置くというのは非常に理にかなっているなと。

元谷外志雄の信者、アパホテルの信者を増やす事が出来て本も売れるしホテルのリピーターも増える。一石二鳥ですね。(本はタダで読めるから売れないのかな?)

僕には合わない考え方だった

この本を読んでみて、すごいなとは思うのですが、僕はサラリーマンで気楽に生きていきたい人なので共感は出来ません。

サラリーマンは嫌だ、起業したいと思っている人は共感して、講演とか聞きに行ってしまうかも。

という事で漫画の内容は結構面白いものでしたが、やっぱり他の新しいホテルが空いてたらそっちに泊まるかな。

ちなみに部屋には他にも下のような本が置いてありました。
※藤誠志は元谷外志雄のペンネーム

・逆境こそ光輝ある機会なり/元谷外志雄
・理論 近現代史学/藤 誠志
・強運/本谷芙美子

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