30代で異業種への転職を決意、成功して大企業で年収600万円以上に【転職体験談2】
年収300万円からの出発、20代で1回目の転職失敗談とブラック企業への復讐劇【転職体験談1】 - ポケットサラリー
こちらの記事の続きです。読んでない方はぜひご覧ください。
年収300万円から450万円、地元中小企業への転職を果たした僕ですが、30代で2回目の転職をする事になります。
今回は30代での2回目の転職活動の体験談をご紹介します。
1回目の転職失敗の理由
1回目の転職で地元の中小企業に合格した僕は年収も300万から450万へ上がりましたが、一つ失敗していました。
2社目の企業は、今は無き三洋電機の半導体部門の子会社、同業種で職種も僕が二年半やってきた事と全く同じです。
しかし、これが失敗でした。当時、半導体業界は一部を除き右肩下がり。
いえ、当時といわず、日本の半導体業界はずっと右肩下がりです。
なぜかというと、1991年、日本の半導体企業がピークだった頃は、世界の半導体企業ランキングの上位20社のうち、日本企業が11社入っていました。
そして、僕が1回目の転職をした2007年は6社に減っています。去年の2017年に至っては1社だけ、8位に東芝メモリが入っているだけです。
何が言いたいかというと、日本では右肩下がりの将来性の無い業界に残ってしまったわけですね。
2014年、30代で2回目の転職活動体験談
30代で2回目の転職を決意した動機・理由
2社目の業績不振
元々右肩下がりだった日本の半導体業界、さらに2007年に転職した翌年の2008年、恐怖のリーマンショックが襲います。
僕の会社も僕が入ってから黒字になる事なく、2008年から採用は減らされる一方、それどころかリストラの嵐です。
同じ時期に中途で入った仲の良かった同僚もリストラにあいました。
その同僚は当時、唯一半導体で成功していた東芝メモリに就職が決まりました。
とても羨ましかったのですが、「このまま耐えきればいつか報われる。」と株で損している時と同じ心境でした。
なんとかリストラは免れていましたが、昇給も無かったりで給料はちっとも上がりません。
2012年についに三洋電機から売却される事になり、外資系企業に買収されました。
年収も転職してから3年目くらいをピークに給料5%カット、最後にはボーナス半額になりました。そして年収も400万以下になりました。
外資系になりフィリピン出張の増加
会社では社長を始め、管理職が外国人に入れ替わり、フィリピンに工場があったので、フィリピンに出張に行くことも増えました。
僕は英語が苦手でフィリピン人と言葉が通じません。
それだけなら良いのですが、工場の近くには古い寮しかなく、ゴキブリ、トカゲ、しまいにはヘビも出るとの事でした。
生水にも気をつけなければなりません。
それなりにお金が出るならまだ我慢出来ますが、出張手当も無く、実費精算のみ。
今となってはネタになって良い経験でしたが、この経験がこれから生きるとも思えず、年収400万以下でこの過酷な環境は割りにあわないと思っていました。
2014年7月マイナビエージェントに再登録、しかし担当者が・・・
コネがあるとは言っても本当に受かるか不安だったので、駄目だった場合に備えてマイナビエージェントに登録しました。
今回はマイナビエージェントの担当者は女の人です、東京まで行くのは大変だったので、電話で面談を済ませました。
まずは同僚から連絡のあった東芝メモリに応募してもらい、それと並行して関東の従業員数1000人以上の大企業にかたっぱしから履歴書を提出しました。
しかし、東芝メモリの書類選考通過の連絡が一向に来ません。もちろんその他の大企業は全滅です。
3週間くらい経った時、担当者に東芝メモリの状況確認と、大企業に受かるにはどうすればいいか聞きました。
すると、この女担当者は、次のような事を言い出しました。
「オカシンさんが応募している企業はやってきた仕事とあってないから受からない」
「プログラマー傾向だからSEの仕事に応募した方がいい」
担当者によって考え方が様々なのはわかりますが、転職を希望している人に受からないとか言うのはどうかと思いますね。
この担当者とはやっていけないと思い、マイナビエージェントの本社に電話して担当を変えてもらいました。
二人目の担当者は超優秀!
次の担当者はとても良い人で、超優秀でした。
僕が出した履歴書をすべて添削して、さらにすべて書き直してくれました。
大手企業に書類を出しまくって、30社くらい落ちてヘコんでいた時も、「大企業はやっぱり難しいんですかね」と相談したら「大企業の方が取る人数も多いので運よく受かる事もありますよ。」「逆に中小企業の方が即戦力を求めてるので他業種は難しいかも」と励ましてくれました。
ついに東芝メモリの面接へ
そんな中、東芝メモリから書類通過の連絡が来ました。
まずは一次面接を行うので三重まで来て下さいとの事でした。
筆記試験と受け、一次面接はコネのおかげか好意的な質問が多く、すんなり合格。次の面接は東京の東芝本社で行われ、最終面接になります。
数日後、東京へ最終面接を受けたのですが、最終面接は俗にいう圧迫面接でした。
答えずらい質問を立て続けにされ、僕はしどろもどろの回答をしてしまいました。
「ちょっとヤバイかな、でもコネもあるし受かるでしょ」と楽観的に考えてました。
現在の会社の書類選考通過し面接へ
そんな中、今勤めている会社の書類選考が通ります。
今の会社は一部上場の超有名企業ですが、当時の僕は知りませんでした。(こんな世間知らずでも転職って受かっちゃうんですよ)
しかし、後は東芝メモリの選考結果を待つだけだったので、今の会社の面接は軽視していました。
今の会社の面接に行く途中、担当者から電話がありました。
電話の内容は「東芝メモリの選考が思わしくない、落ちるかもしれないので、次の面接も全力で頑張ってください。」との事でした。
僕は頭の中が真っ白、事前に最終面接まで行けば、ほぼ受かったも同然と聞かされていたので、超焦りました。
担当者に、「最終面接で落ちる人っているんですか?まさか落ちないですよね?最終面接で落ちる確率ってどのくらいですか?」と聞きまくり、「コネを使って最終面接まで行ったから落ちる事もあるのか?」と少しパニックでした。
担当者に「落ち着いて下さい、とにかく今は次の面接に集中しましょう」と言われ、冷静になれました。
この連絡は本当に助かりました、この担当者さんには感謝してもしきれません。
おかげで、今の会社の面接に一生懸命臨むことができました。
今の会社も筆記試験、性格診断、1次面接と最終面接があり、無事合格しました。
合格した後、妻に合格した事を伝えたら、妻も知らなかったのですが、妻の親に「超有名一流企業じゃない、夫婦揃って知らないの?馬鹿なの?」とののしられました・・・
その後、地元の中小企業から2社ほど書類選考通過の連絡が来ましたが、今の会社の年収には及ばないのでお断りしました。
30代で2回目の転職活動結果
今回は大手企業30社書類選考落ち、2社書類選考通過後辞退、1社最終面接で落選、1社合格という結果になりました。
2回目の転職活動期間は、転職活動を始めたのが2014年の7月、合格したのが2014年11月なので、4か月くらいでした。
2回目の転職から3年たった現在、年収は650万程度で福利厚生も色々あるので、年収以上に生活に余裕があります。
前の会社の最高が450万円だったので200万円アップです。
今回は前回の半導体業界とは全然違う業界ですが、業界トップの会社で半導体業界よりは将来性があります。
有休も取り放題で、残業もあまり無く、僕の2回目の転職は今のところ大成功です。
元の会社への退職報告
上司に転職する事を報告したところ、「残れば年収上げてあげるよ。」と引き留められましたが、転職先の年収を伝えたところ、「それは無理だな」と、あっさり引き下がりました。
よく、転職で引き留め工作の話がありますが、まともな会社は結構あっさり引き下がってくれますよ。
30代で2回目の転職活動をしてわかった事まとめ
・同業種への転職は業界の将来性を考えよう、同職種で将来性のある業界への転職が吉
・転職エージェントが気に入らない場合は変えてもらうか他のエージェントサイトを利用すべし
・年収を上げるためには長期戦も覚悟すべし、下手な鉄砲数うちゃ当たる
年収300万円から始まった僕の社会人生活ですが、転職をしたおかげで人生変わりました。
転職は、低学歴、無資格でも人生を逆転出来る手段だと思います。僕のように三流大学で資格が無くても運が良ければ成功します。
転職活動は時間は使いますが金銭的なリスクは何もありません。
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マイナビエージェント